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日記の写真撮ってくるの忘れちゃった^ ^
また次の機会を楽しみにしていてくれ

山の生活はひとつ一つに時間がかかる、お湯が必要な時にまず水を汲みに行き、薪に火をつけて、やかんが沸くのをじっと待つ。街ではすぐに終わる作業もこっちでは平気で30分以上経過していく(山では時計がないから測ったわけではないけどなんとなくの感覚として)。
でも街でその30分という時間を節約して何をするのだろうか?動画見たりゲームしたり、他の人が作った刺激にその節約した時間を使っていくのが多いと思う。電気ポッドで湯を沸かすぐらい簡単に今は面白い刺激が世の中に溢れているからねー。自分が山の生活で気付いたのは時間を節約してもあんまり意味がないんじゃないかということ。時間が余りすぎてもくだらないことに使っていってしまうなら意味をあまり感じない。お金が余って必要のないことに使い出すのに似ている気がする。でさらに街にある刺激は結構強めのものが多いからそこから離れると中毒症状みたいな飢餓感も出てくるような気がする。スマホから離れたくても離れられない人がいるように、その辺の酒とか麻薬とかよりも強い中毒症状が出てるんじゃないかなとは思う。
翻って山の生活なんだけど、お湯を沸かすのにまず井戸まで森の中を歩いていく、気持ちいい、井戸の蓋を開けてカマドウマ達がたくさんいるのが見える、キモチわるい笑、つるべバケツを下げて今日も簡単に水の上で転ぶなーすごいなー日本の技術、感心する、水を汲んで井戸の水の冷たさに触れる、心地よい、水を持って帰りながら道のチェックをする薪のチェックもしちゃう、観察する、薪に火をつけて火の暖かさぬくもり明るさに、癒される、お湯が沸き火が練炭になりあたりに静寂が訪れる、その静寂の中でお茶をすする、脳も体も心もリラックスして心地よくなる、、、贅沢な時間が過ごせる
お湯を沸かすという一つの行動だけでもここまで心、体、脳がlここまで動くし、全てに無理がなくゆったり流れていくから疲れとかストレスもない、ただ心地よさだけがある
街に住んでいる人は、山にいると寂しくならないか?とか不便じゃないか?とかを気にするが、そんなこと気になったこともない、ただ心地よさとゆったりとしたリラックスした気分に満ちている
街と山の時間どちらが裕福なのだろうか?
街の生活は便利なのだが、山の生活の水を汲む心地よさ、火に当たる気持ちよさも便利さと同時に奪われていないか?
自分はどっちも味わうんだけどね、街も山もどちらの良さも♪
まぁあんまり便利さを追い求めてもあんまり意味がないんじゃないのかなとは思うな^ ^

効率じゃない回り道にも色々いいものが落ちている