時間から解放される

今回の山ではカメラを持っていくのを忘れたので時間を知る術が全くなくずっと過ごした笑
杉の森の中にいるので太陽の位置もよくわからず、ほんと何時なのか知る手がかりが少なすぎた
途中で山で人と会う約束があったので日にちだけは間違えないように毎日日記をつけていたが、それがなかったらあれをいつしたっけていう記憶も昨日のことなのか一昨日のことなのかわからなくなっていたと思う。そのうち日にち感覚曜日感覚時間感覚全てが消えていってしまうだろうなという感覚も味わった。時間から解放された数日間だった。
多分あのまま過ごしていればもっと面白い感覚になれるんだろうなと思う。何の約束もないときに試してみようかな。
時間にこだわること、自分にこだわることから離れてしまったら何にこだわることもなく生きていけるような気もする
時間すら気にしなくなっていた中では、いかりや喜び楽しみすら痛みや痒み美味しさみたいな単なる体の反応のにすぎないってことにも気づいた。だからあまりそういうのにこだわるのももうあんまり意味がないなと思ったね
あとはオフグリッド生活(電気ガス水道無し)の生活をしてて太陽のすごさに改めて気づいたという感じ。あの暖かさと光量を無限に提供し続けてくれるパワーにはほんと感動した。こんな当たり前のことにすら感動できるようになるのがオフグリッド生活で、俺はこういう感覚になれるのが好きだなーと改めて思ったよ♪
体もさらに山の生活に馴染み始めてもう月の80%以上は山で過ごしている。山の活動範囲が広がるほど新しい山の恵みを発見できるし、今回は野生のシソを発見しためちゃいい風味、それによって山の生活に彩りがさらに加わっていく、山の生活はシンプルだからこそいろいろなことに応用が利いてほんと楽しい、囲炉裏も掘りごたつのような形にしたから料理に使った薪がそのまま熾火練炭となってその上に机を載せれば掘りごたつのようにできる、非常に暖かい、エネルギー効率的に一切の無駄がない、しかも灰の中ではクルミや栗がホクホクになっていっている、、、こういう一つのものがいろんなものに使えるのが俺は好きだなぁと、そういうことにも今回気づいたよ♪
また面白いことに気づいたらブログに書くね♪
またねー♪
自分すら感じなくなるくらいの静寂に身をおくこと

この三日間は雨が降り続いていた、、、いつまでもいつまでもやまない雨、空気が冷たくて温まらない
ストレッチとか日常のことが億劫になり何もしたくなくなる動きたくなくなる、、、
お腹はすくのでご飯を温めるために囲炉裏に火をつける、途端に全てが楽になる、炎の暖かさを体のエネルギーに変えられているかのように思考も体も動き始める、囲炉裏の中に灯した小さな火、ほとんど薪も使っていないのに全身を火の温もりで包むことができる、ほんと囲炉裏発明したやつにノーベルと同じくらいの資産をやってくれ。自分の囲炉裏は東北式?で掘りごたつのように足を灰元に降ろせるようにしたので足もしっかり温められる。味噌汁を作りながらホットタオルを作りごはんの蒸らしが終わるまで目元温め足元を温め横になりゆったりする、BGMは雨音、、、雨の中で動く動物たちはいないから森が静まりかえって雨音がしっかりと聞こえる、脳も心も体も落ち着いていく、、、ご飯を食べてコタツから出られない猫のように囲炉裏で薪を燃やしながらそこから動けない、今の拠点は完全な部分暖房だから囲炉裏から離れるとすぐに寒くなる、、、ゆったりしながら拠点に対するアイディアもポツポツ出てくる障子貼ってみようかなとか窓作っってみようかなとか、丸窓にしたいなとか、材料は、、、額縁とか使ってみるかとかその場にあるものを使って自分の希望を叶えようと試行錯誤しながら考えてみる、その時間が面白い、そしていいアイディアが出て実行して思いが現実化した時も最高の気持ちになるそしてゆったりしているとすぐ次のアイディアが生まれてくる、山では無限にやりたいことが生まれてくる、、、そんなこんなでいつも時間が過ぎていくのだが今回は3日間雨だったからほとんど囲炉裏の側から動けず、ゆったりゆったり静かに静かに過ごしていた、、、この静かな時間は無意識に自分と向き合う時間となっていき最後には自分すらなくなって脳も心も体もシンと静まり返って外も中も静寂で溢れかえる、、、こうなった時の感覚はある種、気持ちいいというか、とても楽な状態、脳も心も魂も体もどこにもストレスがかかっていない状態、山の静けさにどっぷり使った時にこの状態に入れる
今日下山してきたが久しぶりに太陽の光に触れることができた、、、長い長い瞑想から覚めたようなスッキリした気分、、、雨で動けなくて寒くて囲炉裏の側から離れられなくてもそこには独自の幸福感が広がっている。長い時間ゆったりゆったり静かに過ごすのが一番簡単に身も心も楽になる方法の一つだろうなと思う。街ではなかなか難しい、他の人間がいる環境でも難しい、、、
山の環境は厳しくないかと聞かれるが確かにこういう寒さの中に置かれると厳しいのかもしれないが、知恵と工夫でそれを乗り切ってこの朝日を浴びているとすごい幸福感に包まれるから、そういう厳しさとこういう幸福感はコインの表と裏、波のように一体化しているものなので悪い点だけ見ても意味がないよなと思う

リアルの楽しさを奪われている人間

日記の写真撮ってくるの忘れちゃった^ ^
また次の機会を楽しみにしていてくれ
山の生活はひとつ一つに時間がかかる、お湯が必要な時にまず水を汲みに行き、薪に火をつけて、やかんが沸くのをじっと待つ。街ではすぐに終わる作業もこっちでは平気で30分以上経過していく(山では時計がないから測ったわけではないけどなんとなくの感覚として)。
でも街でその30分という時間を節約して何をするのだろうか?動画見たりゲームしたり、他の人が作った刺激にその節約した時間を使っていくのが多いと思う。電気ポッドで湯を沸かすぐらい簡単に今は面白い刺激が世の中に溢れているからねー。自分が山の生活で気付いたのは時間を節約してもあんまり意味がないんじゃないかということ。時間が余りすぎてもくだらないことに使っていってしまうなら意味をあまり感じない。お金が余って必要のないことに使い出すのに似ている気がする。でさらに街にある刺激は結構強めのものが多いからそこから離れると中毒症状みたいな飢餓感も出てくるような気がする。スマホから離れたくても離れられない人がいるように、その辺の酒とか麻薬とかよりも強い中毒症状が出てるんじゃないかなとは思う。
翻って山の生活なんだけど、お湯を沸かすのにまず井戸まで森の中を歩いていく、気持ちいい、井戸の蓋を開けてカマドウマ達がたくさんいるのが見える、キモチわるい笑、つるべバケツを下げて今日も簡単に水の上で転ぶなーすごいなー日本の技術、感心する、水を汲んで井戸の水の冷たさに触れる、心地よい、水を持って帰りながら道のチェックをする薪のチェックもしちゃう、観察する、薪に火をつけて火の暖かさぬくもり明るさに、癒される、お湯が沸き火が練炭になりあたりに静寂が訪れる、その静寂の中でお茶をすする、脳も体も心もリラックスして心地よくなる、、、贅沢な時間が過ごせる
お湯を沸かすという一つの行動だけでもここまで心、体、脳がlここまで動くし、全てに無理がなくゆったり流れていくから疲れとかストレスもない、ただ心地よさだけがある
街に住んでいる人は、山にいると寂しくならないか?とか不便じゃないか?とかを気にするが、そんなこと気になったこともない、ただ心地よさとゆったりとしたリラックスした気分に満ちている
街と山の時間どちらが裕福なのだろうか?
街の生活は便利なのだが、山の生活の水を汲む心地よさ、火に当たる気持ちよさも便利さと同時に奪われていないか?
自分はどっちも味わうんだけどね、街も山もどちらの良さも♪
まぁあんまり便利さを追い求めてもあんまり意味がないんじゃないのかなとは思うな^ ^
効率じゃない回り道にも色々いいものが落ちている
山にいるとどんどんどんどん健康になる それがもたらす効果

山で過ごしていて体の調子が良くなってきた。普段から健康優良児なんだがさらに上がったのを感じる
暇だからストレッチしたり散歩したりハンモックしたりゆったり体にいいことしかしていないから健康になるのも当然か笑
ストレッチは本当に大切な気がする。ブッダもヨガをやっていたのが良くわかるくらい効果がすごい
夜寝るときに体が緩んでいると体と床の設置面積が増えて硬い床で寝ていても次の朝の動き出しがかなり軽くなる。粗食にしているのもいいのかもしれない。消化に使うエネルギーを他のところに回したり体に蓄えておけるのか体が軽いし肌の調子もかなり良くなっている。薪で生活位しているから灰の殺菌力で空間に雑菌とか人の体に悪いものも少なくなっているのかもしれない
どんどん健康になっていってるのを感じる。とてもいいことだ
お金で生活してる人も山で生活してる人、いろいろな人生いろいろな生活があるが一番大切なことは健康であることだろう。口内炎がひとつできただけで味覚と幸せに甚大な被害を及ぼすのだから、健康でいることは幸福な状態にとってかなりかなりかなーり重要だと俺は思うね。まずは自分の体の健康を大事にしようってことかな。山にいるとそれが自然とできる。時間が有り余ってるから。なぜ時間が有り余るか、他人で時間を使っていないから。この日記の内容にもつながっていくけどね。。。
これからも山のデジタルデトックス、オフグリッド仙人ライフで健康に磨きをかけていくわー♪

自分の生活が総エンタメ化する

山に長くいて街に帰ってくると山の静かな感覚を持ったまま街の生活を送れるようになる
飽きていた街の生活を違った目線で送れるようになるとまた楽しめるようになる
これは長い海外生活から帰ってきたときに日本の良さや美しさを海外の人目線で見て再発見できるのに似ている。
山であれだけ慎重に使っている水をジャージャー使えたり薪を燃やさずお湯を沸かせるガスに笑えてくる。一番は「ながら」がなくなったこと。一つ一つのことに集中してそこから100%のものを抽出できるようになった感覚。食べることでも味覚をフルに使って最高級のエンタメのように楽しむことができる。それを初めて食べるかのような感動?驚き?とともに得られるようになった。それが山にいるときだけでなく街にいるときでも、できるようになってきたのは自分の中で大きい♪
この流れで自分の生活の全てが総エンタメ化していけば他人からエンタメを提供してもらわなくても自分の中から生まれてくるものだけで楽しく生きていける、誰かと共有する楽しみはないけど
自分の身の回りに起こるあれこれを前よりも集中して大切に対処できるようにもなってる気がする
この日記の玄米をぶちまけたときにも街にいるときだったら全部捨てててもおかしくないと思う、灰だらけで泥だらけになってるから。でも山にいると感覚が変わって、なんだか大切にしたくなって、玄米に申し訳なくなって一粒一粒拾ってまた炊き直して食べるという、そしてそれがとても美味しいというね
車で走っているときは道端にあるものに気づかないけど、歩いているときは一つ一つ吟味しながら、気付きながらいけるというのにも近いのかも。ゆっくりゆっくり一つ一つに対してアクションしてるから前よりも濃密な時間が生まれているんだと思う
たくさんのことをすることでひとつひとつを極薄のものにしちゃってかえって何も得られていないに等しくしてる、実はなんでもすごくゆったりと静かに行うことって、すごくすごく大切なことなんじゃないだろうか、生きていく上で、そんなことを感じているオフグリッド山主です♪

生きているだけで楽しい生活が山だ

台風の後からめっきりと冷え込む、朝起きて寒いから暖かいお茶を飲もうと薪をたく
火は本当に暖かい、、、
一昨年冬に街でホームレスの人が空き家に入り込んで寒いから家の中でそこらへんにあるものを燃やしていたら火事になっていた事件があったが、寒い時には火の暖かさは何物にも代え難いものがある
火は怖いものだけど、慎重に扱えば頼りになる相棒になってくれる、有難い
山にいると火の眩しさ、暖かさぬくもり、薪の爆ぜる音、五感を一つ一つ丁寧に感じながら生きている。生きていること自体を楽しめる、生きているだけで楽しい生活が山だ。
街の生活は動画見たり音楽聴いたりゲームしたり漫画読んだり、、、どれも面白いんだけど人間の感覚に対して刺激が過剰なんじゃないかと感じる、あまり取り過ぎはよくないみたいな、生きているだけで楽しめる感覚が薄くなってしまうのが街の生活だと思う、つい刺激を求めてしまうみたいな
自分は山の生活の方が好きだな^ ^







