Self introduction
I spend most of my time in elementary school and high school in Nagano city. I felt a sense of stoppage in the life surrounded by 360 degrees mountains,
I went to university in Hokkaido. I am touched by its vastness looking at the horizon for the first time.
I learned psychology, so if I learned about body health, I could care both mind and body
I thought that It was perfect
I went to the path of estheticians. Although the work of Estheticians was fun, retirement (three months)because felt doubt to sell expensive cosmetics and services
From Antarctica to APU
I decided to do things, that was to go to Antarctica
This is the best way fulfilling my goal while receiving money.
Call directly to the company , they asked me "What is your previous job?" And answer "I am an aesthetician" and I will be exclaimed ,,, Joined after a resume, interview
I couldn't do anything fishermans job, but I was able to do it after a year. From this experience I am convinced of the high adaptability of people. I get confidence that there is nothing I can not do it
I came back from Antarctica and I lost goals again. I notice that drawing a picture is very interesting. Enjoy infinite freedom that you can express your world for 2 years.
Because of wanted to learn African art
And Again I thought it is not fun just to go to Africa
so I think of using JICA (Japan Overseas Cooperation Volunteer). I passed exam of JICA and went to Uganda as "science and mathematics teachers
I went to Uganda in Africa. When I went to Africa, the education was more interesting touches students rather than art
and I hardly drew a picture.
Kilimanjaro climbing, bungee jumping in Victoria Falls one of the world's three largest waterfalls, Egyptian pyramid
Among them, climbing Kilimanjaro was good. thet area it's like the Antarctic, human beings can not live normally, The atomosphere is special.
Half of the 5,000 students are international students, half of the faculty members from over 80 countries (accepting from 140 countries in the past 17 years) are foreign instructors. I am surprised that such a university is in Japan and apply for it. Pass and work for two and a half
I thought that they would get alongside with each other, but none at all. I am convinced that world peace is possible by spending two and a half years in the APU environment. I think that everyone should have friends in various countries. I do not think the people can't start war with the country where my friend is in
Even though I remembered it now, I was happily wrapped in 1 second 1 second and it was a good time and space where everyone could feel happiness
on the street corners deliver healing sound to someone's ears
Play and tune handpan for my best Improvisation play
I felt the LIVE sound is the best!!
Continue to 2019 my blog!!
自己紹介文
In English
Self introduction
自己紹介
名前:音の巡礼者
【経歴】
小学校〜大学卒業まで
小学校から高校までずっと長野市で過ごす。360度山に囲まれた生活に閉塞感を感じ、
北海道の大学へ進学。初めて地平線を見てその広大さに感動する。
大学は北海道一周旅行や親友と呼べるような人間との出会い、基本的にやりたいことをやって楽しむ
大学卒業間近になって、何をしようか考えた。どの仕事をしようか考えたが特になく、ある日見つからないなら自分で作り出せばいいのではないかと気づく
これに気づいてから人生がとても自由になり楽しくなった(学校生活はひどく退屈だった)
心理学を学んだので、体のことも学べば、心と体両方ケアできて完璧だと思いエステティシャンの道へ。エステティシャンの仕事は面白かったが、高額な化粧品やサービスを売るのに疑問を感じ退職(三ヶ月)
南極〜APUまで
やりたかったことを無くし、しばし(一ヶ月くらい?)バーンアウト(燃え尽き症候群)に、しかしこの何もしていない時間がとても無駄だと感じ、やりたいことがないなら、今自分が想像できる一番でかいことをやってやろうと決意、それは南極へ行くこと
ただ南極へ行ってもつまらないため、南極で捕鯨をしている会社に入り、金をもらいながら自分の目標を叶えることを考え出す。直接会社(共同船舶株式会社)に電話、「前職は?」と聞かれ「エステティシャンです」と答え絶句される、、、が、履歴書、面接を経て入社
南極行きを果たす。自分の力だけで達成するのではなく、世の中にあるものをテコにすることで自分の思ったことを実現できることを実感
赤道上の海の綺麗さ、氷山のデカさ青さ、オーロラ、白夜・・・極地と呼ばれる自然の美しさに心打たれる。仕事面も体力仕事はやったことがなく苦手だったが、1年経ったらできるようになっていた。この経験から人の順応力の高さを確信。最初は出来ないことでもやっていきながらできるようになっていく、、、これは全部そうだと確信
南極から帰ってきてまた目標がなくなる。ふとしたことで絵を描くことが非常に面白いと気づく。自分の世界をどのように表現してもいいという無限の自由を2年間楽しむ。
アフリカンアートが学びたくなり、普通にアフリカに行っても面白くないため、JICA(青年海外協力隊)を利用することを思いつく。説明会に行ったら「理数科教師が穴場」だと教えられ受験、合格。アフリカのウガンダに行くことになる。アフリカに行ったらアートよりも学生と触れ合う教育の方が面白くなり、ほとんど絵は描かなかった。
アフリカの人の生き方が日本人と真逆。日本人は30〜40年先のことを心配して考えて生きる。ウガンダの人は今だけを考えて楽しんで生きる。この考え方から人生に深い影響を受ける。
どんどん今だけに集中する生き方に、、、
アフリカにいる間にキリマンジャロ登山、世界三大瀑布のひとつビクトリアフォールズでバンジージャンプ、エジプトのピラミッドなどアフリカ大陸を満喫。中でもキリマンジャロ登山は良かった。南極に続いて人間が普通では生きられない極地独特の雰囲気を味わう。
アフリカから帰って、外国で何かを教えることにハマる。日本語教師の資格を取りラトビア(高校)、ウズベキスタン(大学)で教える。
それぞれの国から影響を受ける。
ラトビアからはお金がなくても人は幸せに暮らすことができるということ。アートが生活に染み込むことで人はどんな時でも自由に楽しくなれるということ。
ウズベキスタンでは家族の絆の美しさ、客(メフモン)を大切にする(自分の状況がいかに苦しくても)という文化、夏休みに学生達が家に呼んでくれてウズベキスタン中を夏休みに旅行できた、しかも1円も使うことがなく、、、本当に心暖かな人達の国
この二つに心打たれる。
ラトビア
ウズベキスタン
このまま世界を回りながら日本語を教えるのいいなと思っていたが、日本にAPU(立命館アジア太平洋大学)という大学があることを知る。5000人の学生のうち半分が国際学生、80カ国から集まってきている(この17年間で140カ国から受け入れている)教員の半分も外国の講師。こんな大学が日本にあるということに驚き2年半働く
1クラスの中に平均して12カ国の学生がまざりあう中で教えるのは本当に面白かった。国同士で仲悪くなったりするかと思ったが、全くなかった。APUの環境で2年半過ごすことで世界平和が可能だと確信。みんなが色々な国に友達を持つべきだと思う。友達のいる国と戦争しようなんて思わない
APUの環境、待遇は素晴らしかった(週休3日制、春休み二ヶ月、夏休み二ヶ月、ブレイクなどの休みがあるため一年の半分が休み。給料も満足のいくもの)が、、、ワクワクを感じなくなった、教育は情熱を感じなくなったら関わってはいけない分野だと思い教育から退く
2018年 冬 ハンドパン奏者生活
ハンドパンという楽器を街角で演奏して、ヒーリングを誰かの耳に届けていく
場所を長野から都内に移し、音を探り作り奏でていく生活を始めた
演奏に関しては場所を限定することな呼ばれたり縁ができたら積極的に音をつくりに赴く感じ♪
長野でjam sessionした時も名古屋とか遠方からも聴きに来てくださった人がいて、25席全てsold out改めて音、特に生音の素晴らしさを感じた♪
ハンドパン とか音に関しては可能性しか感じていないので専門的に修行をしてどんどん新しいものを作り出していっている
2019年もこの流れが続く
ハンドパン を演奏し、音の研究をする
2019年 3月からお金と家を持たない生活を始める
最初はどうやって生きていったらいいのか全くわからずに野草とか落ちているみかんを食べて生きていたけれど、ある時本当におなかがすいて、1曲演奏するので少しご飯を分けていただけませんかとレストランに聞いてみたら、分けていただいた上に演奏してくれてありがとう、すごく良かったと言っていただけた、自分も感謝しかなかったし、そこで相互の感謝が生まれ、、、
本当に感謝の気持ちが心から溢れかえったように感じた
今までは野草を食べたり、孤独に生きていたけれど、その後からは少しづつ人との循環の中で生き始めるようになった
自分に出来ることは全部して、その代わりに一日に必要なものを少しわけていただくという、循環の流れの中で生き始めたらすべてうまくいきはじめた
Aさんからいただいた恩を、Aさんに返してもいいしBさんに返しても良いというような循環
お金と家を持たない生活というと、すごく貧乏な生活をイメージされるかもしれないけれど、自分は今この生活を初めて3ヶ月で8kgも太った😄
本当に毎日幸せに満ちた生活を送っています♪
できたら、死ぬまでこの生活を続けたいと思うくらい
なかれのまま、ありのまま
ほんと生きることが仕事になったよ♪
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2020年はコロナによる自粛生活だった
今まで気づかなかった身の回りにある自然の美しさや音の綺麗さに気づいた一年だった
ありふれたものから得られる幸福感は限りがなく、安定している
常に満ち足りた気分でいられることに気づいた一年だった
12月24日クリスマスに長野市芸術館で無観客ライブを行うことができた
前から演奏してみたかった場所なのでとてもいい経験だった
無観客ライブだったけど、両親二人だけを招待して、いい親孝行だったと思う♪
2021年
ハンドパン を続けていると耳がより繊細になりちょっとした町のノイズですら気になりだしたので静かな環境で生活したいなと思ったのがきっかけとなり国内海外問わず周りに誰も住んでいない静かな場所を探し出した
2年ぐらい探して探していろんな場所を見て結局見つかった場所は自分の足元みたいな場所だった、、、幸せの青い鳥かよ、、、
でもこの場所にたどり着いた時にめちゃくちゃピンときてここに住みたいなと思ったらもうこれ以上ないぐらいの流れで住めるようになってしまった、多分奇跡が10個ぐらい同時に起きたと思う笑
22年の7月から住み始めて今は11月、、、寒くなってきたけど自分で囲炉裏を作ったり火鉢もらったり石暖めたりしてめちゃくちゃ快適に山生活を楽しんでいる。電気とか便利な生活をしちゃうと面白くないので電気ガス水道無しのオフグリッド、ソーラーパネルすら使わない徹底ぶり、日の出とともに起き火が沈めば闇とともに眠る、、、そしてまた鳥の声とともに目覚める、、、みたいな
お金を稼ぐ必要がないからゆったり山の自然を楽しみながら自分の理想の場所、森を少しづつ作り上げていっている、、、ここに死ぬまで住んで少しづつ少しづつ作っていけたらなと思っている
木を切って、土を耕して、井戸の水を汲み、薪を集め、火とともに生きる、そんなシンプルで素朴だけど絶対的な安心感と穏やかな幸福感の中に浸れている、、、絶えないエネルギーと幸福感、、、
いいと思う
ハンドパン の演奏はここに来て聞いてもらおうと思う
もう他のノイズだらけの場所にわざわざいって演奏することはないかなと思う
「音の森(sound forest)」
自分の森をそう名づけた
山暮らしのtwitterもやってるからきになる人はそっち見てみてもいいかも
いつまでやるかわかんないけど、、、いつも通り♪
音の巡礼者のtwitter